石岡の菖蒲沢の薬師古道
- 2015/05/04
タグ : トレッキング,文化財,茨城,巡拝供養塔,薬師如来,手水石,石灯籠,

■菖蒲沢薬師堂
住所:(入山口)茨城県石岡市菖蒲沢 菖蒲沢公民館
開山:大同2年(西暦807年)
本尊:薬師如来坐像(市指定文化財)
石仏・文字塔の遺る大変素晴らしいトレッキングコースですが、少々場所が分かりにくいのでブログをご参考にぜひ探訪していただきたいと思います。

まず駐車場のご案内です。平成16年3月に閉校になった朝日小学校は、その木造校舎の良さを保存するために里山の体験イベントを開催する施設「朝日里山学校」として一般に開放されています。その校庭、もしくは向かいのスポーツ施設に駐車しましょう。
左:校庭のフジは「朝日小学校のフジ」として石岡市の認定保存樹になっています。推定樹齢は100年、花房は100㎝近くになる、と書いてありますが、う~ん今年は80㎝くらいかな?と思いますが素晴らしいです。
右:そこから歩いてフルーツラインの信号を渡りましょう。左側のごみ収集所に上のコースマップが貼ってあります。そこを右折し民家の間の道を登っていくと、菖蒲沢公民館があります。この高台が、筑波山四面薬師のひとつ、東光寺跡です。


簡易トイレが公民館の裏にありますので、済ませておきましょう!
左:さて、すぐ隣に「法相宗徳一法師御小屋跡」がありますが、この建物はあくまでもただの作業小屋ですのでお間違いなく(笑)この土地にお住まいだった、ということですね。
右:小屋の横手に文字塔があります。
左の舟形巡拝供養塔「(ア 種子曼荼羅) 願主男女九拾七人 光明真言四拾九万遍 石橋施主*」
右の自然石巡拝供養塔「(ア) 天明二壬寅天(西暦1782年) *講中 光明真言二百万遍成就所 願主* 十一月吉日」


東光寺を開山した徳一法師は、藤原仲麻呂の子で東国布教行脚し、筑波山中禅寺(明治期の神仏分離で変わった筑波山神社の前身ですね!)、会津恵日寺を開いたお方で、最澄と宗教論争したそうです。
トレッキングコースはつまりは東光寺から東光寺奥の院である菖蒲沢薬師堂への参道なのです。両脇にはこのようにきちんと祀られたいろいろな石塔が見られます。こちらは祠と手水石。

左:「明治廿七年(西暦1894年) 馬攊神(ばれきじん) 三月吉日」
右:「(サク) 寛政五癸巳歳 當神 廿三夜供養塔 十一月廿三日 講中」


馬攊神は、馬の守護神、うまやの神のことだそうです。馬頭観音塔は多いですが、大変珍しいです。馬攊神は明治後期に建てられるようになったそうで、ここにも神仏分離政策の影が見られるわけですね。
巨岩に祠が彫られた「氏神様」です。

小さな祠は「不動尊」。後ろには種子を刻んだ文字塔が複数横倒しになっています。

「天白稲荷神社」は表裏に鳥居がありますが、裏の鳥居の横の巨木の根は圧巻です。

朱色のおキツネ様がとてもいい表情をしています。その台座には、「金五十銭寺田某 米五升君山某…」と寄進の銘が彫られています。とても味のある文字で、「永井 石工 井坂長大」とありました。奉納日は不明。


広く開けた場所は、仁王門があったようです。
左:巡拝供養文字塔と地蔵菩薩像。「享保二天 合* (村々の名前) 南無阿弥陀佛一千* 丁酉二月日 大衆 (村々の名前)」
右:「薬師如来坐像覗き燈篭」こちらが面白く、覗き穴から本堂を拝むようにできています。


裏から見るとなんと九曜紋。屋根の欠損はありますが、とても状態がいいです。

いったん苔むした石の階段を降りて…。大変静かで明るく風情あるゾーンです。ここには神様がいると感じます。

「弁天池」。池には枯葉がたくさん浮いているので、写真では分かりにくいのですが、中島に石橋が架かり祠があります。

苔むした手水石には、湧き水が引かれており、冷たい清らかな水で溢れています。後ろの種子の刻まれた文字塔もいいですね。

再び石の階段を上がると、奥の院があります。度重なる焼失をしていますが、このお堂は平成21年に保存会の有志の皆さんによって建てなおされたもの。いい感じで味が出てきています。左右の石灯籠も年代は不明ですがかなり古いもの。

左右の仁王像とご本尊の薬師如来像は、市指定文化財です。薬師如来像の胎内銘文によると、貞享4年(西暦1687年)4月8日、東光寺29代目別当・寛泉が建立したもの。京の烏丸の仏師・松崎治兵衛ほか2名の作品だそうです。

口伝では、真のご本尊の薬師如来像がこの胎内にあったと言われているそうです。しかしながらこの座像も、大変黒光りが美しく月日を刻んできた柔和なお姿と優しいまなざしに射ぬかれて、しばし前を立ち去ることもできず拝んでまいりました。筑波を愛するものなら、きっとこの薬師如来さまの裏鬼門を守っていただいている壮大なお心に触れることができるのではないでしょうか。ぜひ参拝していただきたいです!(ご本尊にカメラを向けるのはためらわれるのですが、構えたときに陽がお堂の中にさしました。これを見て参詣してくださる方が増えるといいなというブログの趣旨に従って掲載します。)
お堂の左側に、元の礎石が残っています。また周囲には、文字塔や石仏・無縁仏が点在しています。丸太のベンチも作られています。ぜひゆっくりご覧ください。

少しだけ引きかえし、右にそれていくと「龍神」と呼ばれる巨岩があります。特に水溪があるわけではないので、なぜ龍神かなと思ったのですが、今思うとその巨岩を私はガマカエルの大口のように見ていたのでした。形態が龍なのかな?

左:この巨岩に寄り添う古木の根と幹を見ると、やはり神がいると思わせますね。
右:さらにその先をもはや雑木林の中をわけいっていくと、庚申塚があります。まっすぐいくとフラワーパークへと抜けるようです。ただ完全に雑木林の中を歩く感じなので、このシーズンだと軍手や鎌も必要です(笑)


ゴールデンウィークがこの辺の田植えシーズンです。イネやフルーツなど肥沃な土と清らかな水によって豊かな実りある土地で、いちご摘み農家のハウスからは甘いいちごの香りが漂っていました。

朝日トンネルが開通して、マイカーやバスツアーでにぎわうフルーツライン。公共の立派なトイレ(夜間閉鎖)もできましたので、ぜひ遊びにきてくださいね!

まず駐車場のご案内です。平成16年3月に閉校になった朝日小学校は、その木造校舎の良さを保存するために里山の体験イベントを開催する施設「朝日里山学校」として一般に開放されています。その校庭、もしくは向かいのスポーツ施設に駐車しましょう。
左:校庭のフジは「朝日小学校のフジ」として石岡市の認定保存樹になっています。推定樹齢は100年、花房は100㎝近くになる、と書いてありますが、う~ん今年は80㎝くらいかな?と思いますが素晴らしいです。
右:そこから歩いてフルーツラインの信号を渡りましょう。左側のごみ収集所に上のコースマップが貼ってあります。そこを右折し民家の間の道を登っていくと、菖蒲沢公民館があります。この高台が、筑波山四面薬師のひとつ、東光寺跡です。


簡易トイレが公民館の裏にありますので、済ませておきましょう!
左:さて、すぐ隣に「法相宗徳一法師御小屋跡」がありますが、この建物はあくまでもただの作業小屋ですのでお間違いなく(笑)この土地にお住まいだった、ということですね。
右:小屋の横手に文字塔があります。
左の舟形巡拝供養塔「(ア 種子曼荼羅) 願主男女九拾七人 光明真言四拾九万遍 石橋施主*」
右の自然石巡拝供養塔「(ア) 天明二壬寅天(西暦1782年) *講中 光明真言二百万遍成就所 願主* 十一月吉日」


東光寺を開山した徳一法師は、藤原仲麻呂の子で東国布教行脚し、筑波山中禅寺(明治期の神仏分離で変わった筑波山神社の前身ですね!)、会津恵日寺を開いたお方で、最澄と宗教論争したそうです。
トレッキングコースはつまりは東光寺から東光寺奥の院である菖蒲沢薬師堂への参道なのです。両脇にはこのようにきちんと祀られたいろいろな石塔が見られます。こちらは祠と手水石。

左:「明治廿七年(西暦1894年) 馬攊神(ばれきじん) 三月吉日」
右:「(サク) 寛政五癸巳歳 當神 廿三夜供養塔 十一月廿三日 講中」


馬攊神は、馬の守護神、うまやの神のことだそうです。馬頭観音塔は多いですが、大変珍しいです。馬攊神は明治後期に建てられるようになったそうで、ここにも神仏分離政策の影が見られるわけですね。
巨岩に祠が彫られた「氏神様」です。

小さな祠は「不動尊」。後ろには種子を刻んだ文字塔が複数横倒しになっています。

「天白稲荷神社」は表裏に鳥居がありますが、裏の鳥居の横の巨木の根は圧巻です。

朱色のおキツネ様がとてもいい表情をしています。その台座には、「金五十銭寺田某 米五升君山某…」と寄進の銘が彫られています。とても味のある文字で、「永井 石工 井坂長大」とありました。奉納日は不明。


広く開けた場所は、仁王門があったようです。
左:巡拝供養文字塔と地蔵菩薩像。「享保二天 合* (村々の名前) 南無阿弥陀佛一千* 丁酉二月日 大衆 (村々の名前)」
右:「薬師如来坐像覗き燈篭」こちらが面白く、覗き穴から本堂を拝むようにできています。


裏から見るとなんと九曜紋。屋根の欠損はありますが、とても状態がいいです。

いったん苔むした石の階段を降りて…。大変静かで明るく風情あるゾーンです。ここには神様がいると感じます。

「弁天池」。池には枯葉がたくさん浮いているので、写真では分かりにくいのですが、中島に石橋が架かり祠があります。

苔むした手水石には、湧き水が引かれており、冷たい清らかな水で溢れています。後ろの種子の刻まれた文字塔もいいですね。

再び石の階段を上がると、奥の院があります。度重なる焼失をしていますが、このお堂は平成21年に保存会の有志の皆さんによって建てなおされたもの。いい感じで味が出てきています。左右の石灯籠も年代は不明ですがかなり古いもの。

左右の仁王像とご本尊の薬師如来像は、市指定文化財です。薬師如来像の胎内銘文によると、貞享4年(西暦1687年)4月8日、東光寺29代目別当・寛泉が建立したもの。京の烏丸の仏師・松崎治兵衛ほか2名の作品だそうです。

口伝では、真のご本尊の薬師如来像がこの胎内にあったと言われているそうです。しかしながらこの座像も、大変黒光りが美しく月日を刻んできた柔和なお姿と優しいまなざしに射ぬかれて、しばし前を立ち去ることもできず拝んでまいりました。筑波を愛するものなら、きっとこの薬師如来さまの裏鬼門を守っていただいている壮大なお心に触れることができるのではないでしょうか。ぜひ参拝していただきたいです!(ご本尊にカメラを向けるのはためらわれるのですが、構えたときに陽がお堂の中にさしました。これを見て参詣してくださる方が増えるといいなというブログの趣旨に従って掲載します。)
お堂の左側に、元の礎石が残っています。また周囲には、文字塔や石仏・無縁仏が点在しています。丸太のベンチも作られています。ぜひゆっくりご覧ください。

少しだけ引きかえし、右にそれていくと「龍神」と呼ばれる巨岩があります。特に水溪があるわけではないので、なぜ龍神かなと思ったのですが、今思うとその巨岩を私はガマカエルの大口のように見ていたのでした。形態が龍なのかな?

左:この巨岩に寄り添う古木の根と幹を見ると、やはり神がいると思わせますね。
右:さらにその先をもはや雑木林の中をわけいっていくと、庚申塚があります。まっすぐいくとフラワーパークへと抜けるようです。ただ完全に雑木林の中を歩く感じなので、このシーズンだと軍手や鎌も必要です(笑)


ゴールデンウィークがこの辺の田植えシーズンです。イネやフルーツなど肥沃な土と清らかな水によって豊かな実りある土地で、いちご摘み農家のハウスからは甘いいちごの香りが漂っていました。

朝日トンネルが開通して、マイカーやバスツアーでにぎわうフルーツライン。公共の立派なトイレ(夜間閉鎖)もできましたので、ぜひ遊びにきてくださいね!
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